ボディーソープ旅行記
ニュージーランド旅行記(2):6月21日オークランド・部屋でワイン、夜の散策(by 旅人のくまさんさん)
<2005年6月21日(火)>
搭乗率が10%程度でしたから、全員が3人分、または2人分の座席を使って横になることができました。ニュージーランドの近くで少し気流が悪い地域もありましたが、大した揺れではありませんでした。
ひと寝入りしたところで明かりが点きました。少し早い時間の朝食でした。窓の外はまだ暗闇でした。ニュージーランドのオークランドまでは、あと少しのところまでフライトしてきました。
<ニュージーランド到着、ホテルへ>
空港へ着陸した時刻は、機内のテレビ画面とアナウンスでは7時42分でした。日本を飛び立ったのが前日の夜18時30分でしたから、時差の3時間を差し引くと、約10時間でした。入国した後に見た電光掲示板には、7時45分到着と表示されていました。この時間の差は、着地した時間と、タラップが準備された時間との違いでしょうか?詳しいことは調べたことがありません。
入国審査は少し列が出来ましたが、さほど時間はかかりませんでした。にこやかに対応してくれて、細かな質問もありませんでした。最初に両替の銀行を探しましたが、直ぐに見付かりました。この日のレートは一ドル82.48円、手数料として5ドル差し引かれましたから、4万円を両替して、479ドル97セントになりました。
旅行前に買ったガイドブックには2004年8月のレートとして、約72円と記載してありましたから、この時と比べると、1年で約15%の円安と言うことになります。米ドルに対してそんなに円安にはなっていませんから、ニュージーランド・ドルの方が高くなったのかも知れません。両替する金額から見ると、たいしたことではないかも知れません。
一行を迎えてくれたのは、現地ガイドの伊藤さんとアシスタントのガイドさんと運転手さんの3人でした。アシスタントの女性の方は、伊藤さんよりご年配の方でしたが、研修中とのことでした。伊藤さんのお年は聞きませんでしたが、24、5歳と言った感じでした。仕事を始められて、間が無いお年のようです。しかし、始終、笑顔を浮かべて、余裕のある対応でした。伊藤さんは、帰国の時も迎えに来ていただいて、ご一緒しました。
<ニュージーランドの車と住宅事情>
伊藤さんが車の中で話してくれたニュージーランドの車事情です。国内線さんはしてなく、全て輸入に頼っているとのことでした。日本からは中古車が輸入されてきましたが、最近法律が改正されて、規制が厳しくなったようです。今は、1997年以前の製造のものは輸入禁止されているようです。この年限は、製造からの経過年で規制され、毎年変更されるのかも知れません。故障車が道路渋滞の原因になっているようです。以下に、お聞きした内容を箇条書きで紹介しておきます。
①車検は、製造後6年以内は1年に1回、それ以上を経過すると半年に1回となる。
②車検費用は50~60ドル程度。(4万~5万円)
③住宅は永住の考え方は無い。適用なスパンで買い換えるのが一般的。子供が独立すれば、また小さな家を探したりする。
④住んだ住宅が、少しでも売れるよう、家族総出で、ペンキ塗りをしたりする。
⑤オープンハウスがよくオークションに出されるが、ほとんどが中古住宅。玄関脇に立て看板で表示してある。
⑥オークランドの戸建住宅の価格は3千万円程度。
⑦30歳代でも、住宅取得の意識が強い。
⑧都心部は2階建て、郊外では平屋が多い。
⑨個人所有の樹木でも6mを超えたものの伐採は、法律で禁止されている。違反した場合は、5千ドルの罰金のほか、伐採した跡に同じ樹種の木を植える義務が課せられる。
伊藤さんに
「6mの高さにならないよう伐採したり、剪定するのは規制されていませんか?」
と質問したところ、
「その規制はありません」
との答えが返ってきました。性善説に立った規制かも知れません。性悪説に従えば、規制を受けないように、個人宅では6m以下の樹ばかりになって仕舞います。
ホテルは数箇所を回るようでした。私が2番目に降ろしてもらいました。スカイタワーホテルとスカイタワー・グランドホテルと2つあり、運転手さんが間違えてスカイタワーホテルの前に停めましたが、道路を挟んだ直ぐ近くということで、歩いてグランドホテルの方に移動しました。ホテルのロビーでは、既に別のガイドさんが待機してくれていました。ここで、伊藤さんとはお別れしました。
<オプショナルツアーの申込み>
スカイタワー・グランドホテルに泊るのは、今回のメンバーでは私一人でした。旅行代金を計算してもらった時に、一人部屋追加代金が4万8千円でしたから、少し高いように感じていました。しかし、投宿してみて、止むを得ない値段と思い直しました。部屋の広さ、設備面を見ても、1泊2万円はするホテルと見受けました。何より都市中心部で便利な場所に立地しています。
ホテルで待機してくれていたガイドさんは若い男性の方でした。この方とはロビーで打合せをしました。こちらからの用事はワイトモの土蛍見学のツアー申し込み、先方からは22日のヨットクルージングと帰国日の時間確認でした。
実は、この日のスケジュールにキーウィ・キャンペーンとして「オークランド・ウォーキングツアー」が組み込まれていました。HISの現地事務所に集合して市内散策、免税店での解散の2時間コースです。日本で貰ったパンフレットには、この分だけ英文で書いてありましたから、単なる宣伝キャンペーンと思って読み飛ばしていました。
ところが、これもHISさんの正式イベントのようでした。「日本では、聞いていませんでしたよ」と言って断っていましたが、ガイドさんがもう一度ホテルにやって来て、「実はこの部分に、英語でミニツアーが記載してありました。キャンセルの意思表示にサインを下さい」と言って事務所から用紙を持ってやって来ました。
後でお聞きした話しですが、このツアーに参加されたのは2、3人だけだったらしく、酷い雨と風で大変だったようです。サインをする煩わしさはありましたが、キャンセルは大正解でした。
ところで、肝心のワイトモ土蛍見学ツアーですが、いくつかのコースがありましたが、ワイトモとロトレアをマイクロバスで回るツアーにしました。値段は高いのですが、人数が6名以内と限られ、ランチもちゃんとしたレストランが用意されているからでした。これなら美味しい料理と、ワインも選択できそうです。
ただし、朝早く出発し、帰着は夜の8時頃になる13時間のコースでした。空港で4万円を両替していましたので、これで間に合いました。料金は275ドルでした。日本円に換算すると2万3千円ほどでしたが、円での支払いは出来ませんでした。
HISさんからのプレゼントもありました。これも旅行計画書にハッピィチョイスと記載してあったようです。キーウィワインのフルボトルを選択しました。
<アーリータイムチェックイン、ホテルの部屋>
1泊1万4千円の追加料金でしたから、少し詳しく設備面を紹介しておきます。何よりアーリーチェックインが出来たのがありがたいことでした。ホテルへ到着したのは、まだ9時前でしたから、通常は午後の3時頃までは荷物を預かってもらうだけです。
最初にセキュリティ面です。部屋のカードキーとエレベータのキーとが共通になっています。エレベータに乗って、このカードを差し込んでから行き先の階のボタンを押さないと、共用階で止まってしまい、それ以上のホテル会まで行くことはできません。そのカードも2枚ありましたから、誤ってキーロックしてしまう心配も、まずありません。
次に部屋からの眺めです。オークランド市内の半分近くが見渡せるような素晴しい場所でした。泊まった部屋が20階でしたから、スカイタワー以外に視界をさえぎる高い建物はありませんでした。そのタワー自体が視界をさえぎると言うより、最上部まで見上げることが出来ました。昼間の景色もハーバーブリッジなどが遠望でき、殊に夜景が綺麗でした。
次に設備面です。バスタブは十分にお湯を貯めることができる深さがありましたし、これとは別にシャワー部屋もありました。シャワーの受け金具がスライド式で、自由に上下できるのも便利でした。シャンプー、ボディーソープなども綺麗な箱入りで一式用意してありました。
そのほかにミニバーには各種の飲物、おつまみが用意されていました。こちらは近くのコンビニを利用しましたので、縁がありませんでした。冷蔵庫代わりに使用しただけです。クロークにはアイロン、アイロン台なども仕舞ってありました。これも、洗濯をした時には随分と便利なグッズです。ただし、今回は4泊でしたから、自然乾燥だけでお世話になることはありませんでした。
最後に、プレゼントの果物が用意されていたのも感激でした。ミニバーを使ってくださいとのメッセージが目的だったようですが、その期待には応えることができませんでした。
<昼食の店探し>
昼食のために一寸外出しただけでも、昼頃は、雨と風で大変でした。ウォーキングツアーに参加しなくて良かったと、改めて思いました。ホテルから少し坂を下った場所に、一番飲食店が密集しているようでした。一通り回って、メニューなどを確認しました。
結局、入ったのは、韓国風のバイキングの店でした。焼肉、貝料理、サラダとかなりの数の品が揃えてありました。一寸心配だったのは、私のほかに客が入っていなかったことです。50人以上は座れる、ビルの2階のお店でした。明洞(ミョンドン)等の文字も看板にありました。ソウルで一番の繁華街です。
値段も確かめずに入りましたが、バイキング方式の食べ放題で飲物別の15ドルでした。「自家版グルメ旅行」ですから、食べ物、飲物をケチケチすることは出来ません。焼肉の酒類も牛、豚、鳥、をあわせると数十種類揃えてありました。これも少量づつ5、6種類食べました。タレも各種用意してありました。肉はテーブル席で焼くことが出来ましたし、エゴマ、サンチュなどの野菜もふんだんに用意してありました。韓国の方崖永しているお店のようで、本格的な韓国料理のお店でした。
本当はワインといきたい所ですが、お店を見渡して、置いてあった酒類の中から、百歳酒を選びました。日本酒と余りアルコール度数の違わない韓国のお酒です。ムール貝の料理も何種類かありましたので、しっかりと食べました。
このムール貝ですが、貝の表を見ると緑色を基調と下に地色をしています。昨年11月の台北旅行の際に、淡水で見た孔雀蛤と同じ貝のようでした。HISの現地ガイドさんはニュージーランドだけの特産品と説明されていましたが、もう少し生息範囲が広いのかも知れません。そんなことはさておいて、この大型のムール貝、大変に美味です。次は白ワインとの組み合わせで食べてみたいと、この時思いました。
少し贅沢なランチでしたが、締めて25ドル、約2千円でした。少し食べ過ぎましたので、もう一度ホテルへ戻って小休止することにしました。雨は少し弱くなりましたが、まだ降り続いていました。
<キーウィワインで夜景を>
昼食から戻った後、予想以上に良かったホテルでしたから、テレビを見たり、窓の外の景色を眺めながら午後のひと時を過ごしました。HISさんから貰ったキーウィワインが、そのお友達でした。私の旅の戦友、オールドパーには少しお休みしていただきました。
旅行の時には、必ず部屋のテレビ画面をデジカメで撮ることにしています。その国の特徴や、日本との違いなども分かりやすく見えるためです。ニュージーランドに関して言えば、スポーツが好きな国だということが良く分かりました。
まず、ラグビーです。ニュージーランド代表チームのオールブラックスが有名ですが、今はライオンズとか言う名前のチームが殴りこみに来ているようです。大いに盛り上がっていました。
ライオンズの正式名称は「ブリティッシュ&アイリッシュライオンズ」と言い、4つのホームユニオン(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズの4協会)が編成する代表チームです。その歴史は1888年にオーストラリアへ遠征した英国チームから始まり、1971~83年までは3年おきに、そして1989年以降は4年おきに編成されています。
ライオンズは、ニュージーランド、南アフリカ、オーストラリアの順に遠征しています。今回は1993年以来12年ぶりにニュージーランドへの遠征となります。前回の1993年の遠征時の成績は、オールブラックスの2勝1敗でした。その成績は次の通りです。
*6月12日 ライオンズ ●18-20○ オールブラックス
*6月26日 ライオンズ ○20- 7● オールブラックス
*7月03日 ライオンズ ●13-30○ オールブラックス
次は競馬です。機種が鞍の上に跨るのではなく、馬に引かせた二輪車に乗って鞭を入れます。映画ベンハーで見るような、ローマ帝国時代を連想させます。前後の足の間は一定の長さの紐で結ばれています。駆けるというより早足競争です。馬の競歩を見ているようで、中々優雅で楽しいものです。スターと良く先頭に立って、一番内側のコースを走ると、後続の馬は、中々抜き去ることが難しいようです。
バスケットも盛んなようですが、女子のバスケットはドリブル禁止です。どうやらバスケットという種目ではなく、別の呼び方をするスポーツ競技のようです。これらのスポーツ番組が繰り返し流されていました。
日本のテレビ番組との違いは、料理番組、その国の歴史ドラマ、子供向け番組、クイズ番組等を見かけなかったことです。これらの番組はお隣の韓国、中国、台湾等で必ず放送されていましたし、ヨーロッパの国でも同じでした。
中国語、韓国語、日本語放送のチャンネルもありましたが、こちらは有料でした。一定時間を過ぎると、有料放送への同意の確認入力をしないと、放送が見えなくなる仕組みでした。日本語放送は、少し時間遅れのNHKの録画放送でした。
<夜のホテル界隈散策>
テレビを見ながらキーウィワインを飲んでいましたら、次第と窓の外が夜景に変わってきました。雨も止んできましたので、散策を兼ねて夕食に外出しました。キーウィワインはニュージーランドの名産のようです。フルーティですが、魚介類の料理に合わせるには少し甘過ぎます。デザートワイン代わりに飲むのが適当なようです。
部屋から見たスカイタワーはライトアップされていましたが、下から見上げるライトアップも随分と綺麗でした。とにかく、オークランド市内のどこからでも眺望できます。この後も、泊まったホテルの目印としても大いに役立ちました。
少し坂を下りたところには、広場に2本の鉄骨を組んだバンジージャンプのセットがありました。これは椅子に座って飛び上がるタイプのものです。悲鳴を上げている女性の方がいました。かなり複雑な回転と上下動を繰り返します。飛び上がるときには退場の5倍の加重である5Gくらいの加速度がかかるようです。
散策は、少し東方面にも足を伸ばしました。アオテアスクエアと呼ばれる地区です。映画館や劇場があり、若い人たちのナイトスポットにもなっているようでした。
<夕食の店>
夕食の店はニッコーという名のお寿司屋さんにしました。昼に来た韓国料理店の向にありました。大分あちこちの店回った後でした。この店にしたのは偶然でした。白ワインと地元で採れた魚介類の料理を合わせるのがテーマでしたから、選んだ店です。
お寿司は日本料理ですが、お店のスタッフは韓国のご出身の方たちでした。お客では、韓国の方と欧米の旅行客が多かったようです。メニューは英文表示でした。
後でお聞きしたお名前ですが、店長は厳(オム)さん、注文を取ってくれたのは張(チョウ)さんでした。店長は日本語が得意で、ミス・チョウさんは英語が得意でした。
最初の日はスモールサイズの刺身、蒸しムール貝とスモールサイズの握りと、ワインはソ-ビニョンブランのフルボトルを注文しました。この店は気に入りましたので、毎日通いました。ネタも良かったのですが、白ワインは料理によく合いました。
ホテルの部屋で
カーテンを開てワインを窓際にグラス傾け時は過行く
ニュージーランド雑感
工業を好まぬ国の経済は苦しけれども清けき自然
女王は君臨すれど統治せずマオリの長と仲の善き友
アメリカズカップに寄せて
海の民帆を操りし伝統の業は開花す銀のカップに
潮目識り風識り海を疾駆する海の誇りは絶えることなし
インド旅行記③ AUG 15 FRI AGRA→JAIPUR(by Le Corbusierさん)
ホテルでアメリカンブレックファーストの朝食を頂き、アグラから南西約40kmに先ある世界遺産ファテプール・シクリへ。
ファテプール・シクリはムガル帝国の第3代皇帝アクバルがここに住む聖者の預言により男児を得て、それにあやかり首都をこの地に移転させて造られた城跡。
ここも入場門まで車でいくことが出来ず、途中からオートリクチャでゲートまで。オートリクチャとは3輪バイク型のタクシー。定員は運転手含め、前3名後ろ3名の計6名だが、街中で見る、オートリクチャはお前ら何人乗ってるんじゃい!と言いたくなるくらい、ものすごい人が乗っている。私は運転席の横の席に乗ったが体が半分外に出ている状態でスタート。小学生が遊園地で乗り物乗っている感じでとてもおもしろかった。数分だからいいものの、街中で長い距離乗るのはちょっと無理だな。
十数年の歳月かかけて造られたこの城も水か悪かったことが原因でわずか数年し使用されなかったという。
ファテプール・シクリからジャイプールに向けて出発。
首都デリーからの道と違い、アグラからジャイプールへの道は車窓の風景も大分、変わってきた。
井戸水を汲み上げていたり、女性が飼い牛用のえさの草を頭の上に乗せて(約40kgらしい)歩いていた。後、かなりの頻度で立ち小便している光景が見受けられた。しかし、途中、トイレに行きたくなり、寄ってもらったガソリンスタンドのトイレは、ものすこく汚く、これなら立小便の方がマシだな。
一番ひどかった光景が田舎の農家にある器具置場みたいな掘建て小屋の売春宿。一応、違法らしいが、まだ各地にあるとのこと。トラック運転手とかが利用するらしく、1回500Rs(1,500円)。何をもって1回だかは、わからないがデリーだと1回10,000円。この売春宿では、女の子が生まれると喜ばれて男の子名場合は、ガイドさんは口を濁していたが、多分、捨てられてしまうのだろうか。私が読んだインドの本には10歳そこそこの女の子が売春しているようなことも書いてあった。
そして、途中大渋滞のため反対車線を逆送しながら、予定より大分遅れてジャイプールに到着。
まず、レストランでまたまたカレーランチ。ここのカレーも美味しく、チキンカレーをお代わりしてしまった。ガイドさんも一緒のテーブルで食事をしたが、やっぱりインド人が食べるカレーは違うらしく、ガイドさんのカレーを少し頂いたが、唐辛子まで入っていてとても辛かった。
ピンクシティとも呼ばれているジャイプール。やらしい町だなとオヤジギャク以下のことを言いながら、ピンクシティ中心部にある、今でもマハラジャが住んでいる、シティパレスへ。
今のマハラジャは軍に勤務していて、お給料は月1Rs(3円)のみ。国のために奉仕しているとのアピールだろう。1ルピーでどうやって暮らしているのかと聞いたら、このシティパレスの入場料やいろいろな事業をやっているとのことでそのためのオフィスまであった。ヨーロッパの方だとマハラジャと会食するツアーもあるらしい。
シティパレス自体はマハラジャの装飾品などが見られる博物館だったり、横にはジャンタル・マンタルという天文台があったりこの1画だけこの街とはちょっと違った感じ。
しかし、建物の装飾は素晴らしくきれいだった。
もうひとつの観光名所、風の宮殿を明日にしてもらい。早々にホテルへ。
3日目のホテルは元、マハラジャの邸宅だった宮殿ホテルのラージパレス。
正直、部屋は2日目の方が広くてゆったりしていたが、建物の趣はやっぱり違い、重厚感がある。
カフェでこの旅行は日本から持ってきた生茶かインドのチャイか紅茶ばっかりだったので、ここならまともなコーヒー飲めるだろうとオーダーしたら、薄くてまずかった(涙)
そこの店員が「HIROという日本人知っているか?」と聞かれ、「知らない」と答えると、「日本人なのにあんな有名な人知らないの?」と言われた。よくよく話してみたら、アメリカドラマに出ているヤッター!のマシオカのことだった。そういえは、インドのテレビで幾つかアメリカの番組がいくつかあったな。
宮殿ホテルの食事はもちろん申し分なく、とても美味しく頂き、日本から持ってきたボディーソープをつかわず、ホテルのとてもいい匂いの石鹸を使い、シャワーを浴びて就寝。
灘温泉 六甲道店(by 旅の空さん)
久し振りに六甲道店へ行きました。水道筋店に比べて多少子供のお客さんが少ない分ゆっくり入っていられるような気がします。人気が高い源泉掛け流しの湯船がちょっと狭い分待つことも多いですがそれだけの価値があります。何より露天風呂や水風呂もあり、シャンプーやボディーソープもあって駐車場もOKで380円と言うのは物凄い企業努力の賜物でしょうね。近所にあったら嬉しいですが・・・。
たまにはハワイでのんびりしよう(by とどちゃんさん)
2005年の夏にオアフ島へ行きました。ノースウエスト航空のマイルが貯まったので、どこかへ行こうと急に思い立ち、どこがいいか探していたら、夏休みにもかかわらず、オアフ島行きのビジネスクラスの席が空いていたので、オアフ島に決めました。
航空券の予約はできましたが、希望のホテルは満室。キャンセル待ちをしても予約はとれず・・・半ばあきらめかけたところ出発予定日の2日前にシェラトンワイキキのスペシャルオファーのメールが届いて、運良く3泊だけ取れました。残り2泊はキャンセル待ちでハワイプリンスの予約を取り、なんとか予定通り出発できることになりました。
1991年に新婚旅行で訪れて以来、14年ぶりでしたが、あまり大きく変わっておらず、以前と同様のんびりとした雰囲気です。青い空も青い海も、ワイキキビーチのやしの木も、カラカウア大通りの雰囲気もそのままでした。ゴルフをして、ビーチを散歩して、スーパーマーケットで買い物をして、マカダミアナッツチョコレートをたくさん食べて・・・のんびり過ごしました。
<1日め>
シェラトンワイキキホテルへチェックイン後、アラモアナ方面へ散歩をしました。日差しは強烈で、短時間散歩しただけでもすぐ日に焼けてしまいます。散歩の途中で、PAN AMERICAN のビルと消防車を見つけました。PAN AMERICAN はかなり前に倒産したはずですが・・。消防車は黄色です。側に脱ぎかけの?消防服も発見しました。アラモアナビーチではワイキキビーチよりも人が少なく、地元の人がバーベーQなどをして楽しんでいました。
<2日め午前>
レンタカーで「ワイケレアウトレット」へ。コーチやラルフローレンなどがあり、かなり混雑していました。アウトレットの近くに、アメリカでよく見かける日常の買い物用のモールがあり、その中にあったスーパー「K’sマート」で愛用のボディーソープを見つけて、嬉しくなり、40オンス入りのボトルを2本購入(以前アメリカに住んでいた時に使っていましたが、日本では見つからなかったので)。数ヶ月後に判ったことですが、実はこれ、ハンドソープ゜でした。ボトルが同じデザインだったので、小さく書いてあった"ハンドソープ"の文字に気が付かず、ボディーソープだと思い込んでいたのです。
<2日め午後>
「マカハバレー」でゴルフをしました。主人と2人でのんびりと回りたかったので、プレイ開始はおそめの14:00。予想通り貸切状態です。値段も安く、キャディーさんにせかされる事が無く、また、昼食も自由で、ゴルフはすごくうまくなくても、自分のペースでできるので楽しいです。設備は簡素であまりきれいなゴルフ場とは言えませんが、全てのホールから海が見えて、気持ちよかったです。でも暑かった~。
<3日め>
レンタカーを借りて、カイルアビーチ方面へ行きました。カイルアビーチは全米NO1に選ばれたこともあるとの事。どんなビーチか早く見てみたい!最初にカハラにある「マンダリンオリエンタルホテル」の近くの公園に車を停め、ホテルまでビーチを散歩しました。人はほとんどいなくて、海も空も青くてとてもきれいです。次は、このホテルに泊まってのんびりエステやスパなどを楽しみたいです。
車で高級住宅街を通り抜け、「カハラモール」へ行きました。こじんまりとしていてますが、かわいいキッチン用品がたくさん売っている「ザ・コンプリートキッチン」もあり、料理やお菓子を作るのが好きな方には、楽しいお店だと思います。あまりのかわいさにあれもこれも買って帰りたくなりますが、イチゴの形のティーストレーナーとやしの木やパイナップルの形の製氷皿を購入しました。
又、あちこちのネイルサロンなどで、OPIなどのネイルが日本より安く手に入ります。ビーチサンダルの形のかわいいネイルキットも購入し、大満足です。「カハラモール」でのショッピングとランチを済ませ、カイルアを目指します。72号線を通り、海岸線をドライブしました。途中サンディ・ビーチ、マカプウ・ビーチなどを通り60分くらいでカイルアへ着きました。道路は渋滞することなく、景色は申し分なく、快適なドライブができました。
帰りは、カメハメハハイウェイでホノルルまで30分くらいだったと思います。ダウンタウンの辺りで少し渋滞しましたが、思ってたより早く着きました。その後、ハワイプリンスへ移動。予約したはずの部屋が予約されていないとの事でフロントともめましたが、結果予約したより7階上の部屋を用意してもらいなんだか得した気分です。部屋の窓からヨットハーバーが見え、とても良い景色でした。
<4日め午前>
ハワイプリンスホテルのプールでのんびり寝ころがって空を見あげると、青い空と白い雲のコントラストがきれいでした。なんにもしないのも幸せ。
<4日め午後>
アラモアナ方面へ買い物に行きました。たいていの物は日本より安く買えるので、買い物も楽しいです。一流ブランドも多数あるので、いつも混んでるみたいです。私の目当ては、「アバクロ」と「キール」。「キール」はニューヨークに本店を構える自然派化粧品のお店で、日本では入手困難なので、アメリカに来た時にまとめて買って帰ります。リップバームなどはとても有名で、アメリカの登山隊がエベレスト登頂に成功した際に使用したそうです。それを記念してスミソニアン博物館に展示してあるそうです。「アバクロ」ではシャツと長袖Tシャツを買いました。
<5日め>
午前中は、カピオラニ公園を散歩。ダイヤモンドヘッドが間近に見えます。ジョギングしている人と犬の散歩をしている人がいたくらいで静かでした。夜は遅くまでやっているDUTY FREEで最後のお買い物。化粧品と、お土産の定番・マカダミアナッツチョコレートを買い込みました。
<6日め>
いよいよ帰国。朝、ホテルのシャトルで空港へ。長いようで、短い滞在でした。オアフは日本からの距離も程々で、誰でも、何度来ても、色々な楽しみ方のできる良いところだと思います。また、何時か来たいです。
ひょうたん島紀行(by からすさん)
トビウオのアーチをくぐってひょっこりひょうたん島(八丈島)に行ってきた。
9/6~9/10にかけて、4泊5日の本格派な一人旅だった。これから5回くらいに分けてどんな目に遭ったのかを書き記しておこうと思う。
第1日目 9/6(水) 雨(本州)・晴(島)
夏休み初日、八丈島に行くことにした。徒歩で散策しつつ、虎の子のニコンD50(デジタルカメラ)で写真を撮りまくるという作戦だ。
当初は船旅を目論んでいたが、予約は3日前までにしなければならなかったので、時間的余裕がなくて断念した。実は夏休みの日取りが決まったのは月曜だったりする……。そんなわけで宿すら決めずにとにかく現地に向かってしまう形になった。
航空券はANAのWebサイトで簡単に予約できた。往復で23000円くらい。カードで落す。思ったより安上がりだ。しかも直行便だと羽田から45分くらいで着いてしまう。うーん飛行機の威力。
お気に入りの幌布バッグ2つ(トランク&ビジネスバッグ)に必要そうなものを詰め込む。現地で歩き回るので水筒を用意したり、旅行用歯磨きやら髭剃りを買ったりした。それにカメラとレンズ2本。非常食(スニッカー)に筆記用具に本にタオルに着替え。
14:30頃に荷物を抱えて部屋を出た。予約した便は16:05発だった。手荷物検査で水筒(ステンレス製)がやはり引っ掛かった。自分で蓋を開けて中身を見せる。カメラはデジタルなのでX線を浴びても大丈夫だ(多分)。
窓際の席に陣取って雲を眺めているうちに飛行機は八丈島に着いた。本当にすぐ着いてしまう。バスとかに近い感覚だ。乗るまでが結構大変&チケットが高いけど。
飛行機から降りると、もわっとした空気に包まれる。本州が雨で肌寒いくらいだったので、ああ南国に来たんだなあという気分になる。外に出ると広い空に雲。アロエみたいな植物がそこらじゅうにたくさん生えていた。
来てしまったものの、実は右も左も分からない。とりあえず大きい車道に沿って歩き、「三根市街」という案内があったのでそれに従って進む。ソテツ並木のまっすぐな道を、荷物を抱えて歩く。早くも汗が出てきてしまう。夕方で陽射しが弱まっていたから良かったけれど、もし日中で直射日光を浴びていたら危険だったろう。帽子が必要だな、などと思ったりした。道を進んでいるうちに海が見えて嬉しくなる。
道を歩いているうちに辺りは暗くなった。恐らく三根市街らしき店舗やスナックの並びに遭遇した。石塀に囲まれた古風な民宿を見つけたけど、なんだか静まり返っているのでパスした。本屋があったので、汗ダクダクのまま入ってガイドブックを買う。なんと私はありきたりなガイドブックすら入手していなかったのだ!
ガイドブックの地図を見ると、海岸沿いに宿が点在しているようだった。もう辺りはすっかり暗くなってしまっている。何となく不安になりながら海への道を目指した。
神湊というところから海岸沿いに出ることができた。もう暗くて海面の色もよく分からなかったけれど、空に立ち上る入道雲ははっきりと見えた。荒々しい波の音がずっと聞こえている。海岸はどこもごつごつとした岸壁になっているらしかった。勢い余った波が岸壁の上に降りかかり、バケツをひっくり返したような音が時折響く。
すっかり日の暮れた頃、海沿いのホテルを見つけた。噴水があったりプールがあったり妙な天使の像があったりするホテルだった。もっと民宿風のところを探していたので迷ったけれど、もう時間が時間だし、とりあえずフロントに行ってみることにした。受付のお姉さんに聞いてみると、空き部屋はあるという。「1泊ですか?」と聞かれたので「3泊です」と適当に言ってしまった。3泊だと1日足が出ることになる。まあ1日くらい別のところに泊まってみるかと思い、あえて訂正しなかった。これが後で災難の種になってしまう……。
1泊11000円くらい(朝食付き)で、まあそんなもんだろうと思って泊まることにした。通されたのは和室で、1人で泊まるには広すぎる8畳くらいの部屋だった。障子に穴が開いていたのに閉口したけど(笑)、部屋の機能としては特に問題なかった。とりあえずマトモなところに泊まれたので安心した。
荷物を置いて一休みした後、夕飯を食べるために先ほどの三根市街までまた歩いた。底土海岸というところまで道なりに下りていってから街を目指す。月が昇っていて、雲がはっきり見えるほど明るかった。
洒落たペンションやダイバーズクラブの屋根が道の両側に何軒か見えた。ただ人や車はほとんど見かけなかった。三根市街に入っても人影はまばらだった。飲食店の勝手がわからず、とにかく開いていた韓国料理店に入ってみた。店主らしいおばさんが台所にいるだけで、客は一人もいなかった。とにかく席に座って焼肉定食を頼んだ。美味いとはいえなかったけど、とりあえず栄養分は取れた。
宿に戻ってから風呂に入る支度をした。大浴場「フェニックス」というところへ向かう。別にフェニックスとは何の関係もない、どの旅館にもありそうなサウナ付きの浴場だった(笑)。別館「ヴィーナス」とか、なんだか大仰な名前が多いホテルだと思った。
とりあえずホテルに入れたことで枕を高くして眠れる日だった。ロビーで入手したマップやガイドを読んで明日の計画を立ててから早めに眠った。
第2日目 9/7(木) 晴
目覚めてみれば、窓の外には果てしなく太平洋が広がっていた。潮騒というには荒々しい波頭の砕け散る音が途切れることなく続いていた。
身支度を整えてから朝食に向かった。別館「ヴィーナス」のレストランに入る。朝食はよくあるバイキング式だった。ただ、行ったのがやや遅い時刻だったせいか、料理がどれもあまり美味くなかった。ここの朝食は、旅の全日程を通じて一番まずい食事だったかもしれない……(汗)。
朝食を終えてから、バッグを片手に外出した。フロントから外に出たとたん強い陽射しが頭を打った。帽子等の陽射しから身を守る装備は皆無だった……。とりあえず目の前の海岸を目指す。
黒く鋭い岩が延々と続く海岸だった。波が荒いせいか、岩はどこも垂直に削り取られている。その黒い岩たちは、陽射しを吸い込んで熱を帯びていた。火山島に相応しい荒削りの自然だ。写真を何枚か撮った。
それから市街のあるらしき方角へ向かって道なりに歩き始めた。昨夜通り過ぎた底土海岸を越え、緩やかなソテツ並木の坂道を登る。昨夜は引き返してしまったカーブを抜け、空港付近にあるらしい別の市街地を目指した。
デジタルカメラとレンズ、それに水筒を詰め込んだバッグはやたらに重く感じられた。陽射しが強くてシャツがすぐに汗でびしょ濡れになってしまう。本来私はあまり汗をかかないタイプだけど、一度かき始めるともう止まらなかった。寂れたスーパーを見つけたので、飲料を補給して水筒に入れた。ちょうど良くベンチがあったので、座って一休みし、一杯だけ飲む。
八丈島には、三原山というやや崩れた形の山と、八丈富士という綺麗なお椀形の山がある。その南北2つの山がくっついていて、実際にひょうたんの形をしている。山と山の間は割合平地になっていて、空港や市街地が集まっている。私が歩いていたのは、ひょうたんのくっついている部分、三原山のふもとをなぞる道だ。島の東側にある底土海岸から西側にある八重根港へと通じている。
途中の石垣に「歴史民俗資料館」という看板があって足を止めた。ガイドブックでちらりと見た観光スポットだ。八丈島は島流しの行き先だったり、離島の割には縄文時代から人が住んでいたりと色々面白そうな歴史があると聞いていたので、入ってみることにした。
資料館は古い校舎のような佇まいの建物だった。周囲をヤシやハイビスカスが取り囲んでいる。石でできた水槽の脇を通り抜けて中に入り、品の良いおばあちゃんから入場券を貰った。入り口のすぐ脇に団扇が何本も用意されていた。そう、クーラーなどという無粋な冷却装置はなかった(笑)。
八丈島ゆかりの文物や縄文人の土器、昔の人が使っていた家具や名産の「黄八丈」という絹織物が展示されていた。途中、大学のゼミらしい一団と会った。中国からの留学生らしい女の子がいて、展示されていた掛け軸(漢文)をすらすら読んでいた。ネイティブは羨ましい(笑)。写真撮影は最後の部屋以外自由だということだった。最後の部屋には、八丈島の歴史の各シーンを絵にしたものが飾ってあった。きっと絵の著作権のために撮影禁止なんだろうな……。
一通り中を見て回った後、カメラを取り出してめぼしいものを撮りながらもう一回りした。こんな離島の代名詞といわれるような場所に縄文時代から人が住んでいたなんて知ると、とても壮大な気分になる。しかも同じ伊豆諸島の御蔵島から産出される黒曜石は、海を越えた関東にも輸出されていたという。縄文時代は、普通想像されるよりもずっと人や物の行き来していた時代らしい。
民俗資料館を見た後は進路を空港方面に取り、地図に載っていた「八丈植物公園」に行くことにした。雑草に覆われかけた狭い路地を抜けて市街を目指す。途中で八丈島名物の「玉石垣」というものを見かけた。人が住んでいるかどうか怪しい廃屋の石垣だったけれど(汗)、噂に聞くとおりどの石も角のないまん丸で、粘土もモルタルも使わずに積み上げられているばかりの石垣だった。ちょっとユーモラスな感じのする風景で、なんだか南国らしかった。
植物公園にはビジターセンターというものがあるらしく、八丈島の色々な観光スポットや名物について教えてくれるらしかった。「まずはここで情報収集」とガイドブックには書いてあった。私は何も知らずに勢い良く反対側へ歩いていったっけ……。植物園というからには入園料が必要になるかと思ったけれど、普通の公園と同じように開放されていた。ヤシの木や名前のしらないロゼッタ状の植物がたくさん生えていて、巨大なソテツが何本も立ち並んでいる。
ビジターセンターは公園のメインエントランス付近にあった。ガラスと木でできた最近の公園によくあるタイプの建物で、海水魚水槽や生物のパネル写真が展示されていた。小さな売店もあり、島に着いたばかりらしい三人組が店員さんに何かを聞いていた。光るキノコはどこで見られるのかといった内容らしかった。八丈島には、夜になると発光するキノコがたくさん生えているらしい。(しかし私は一度も見かけなかった。キノコ嫌いだからか?)
昔からの癖でついつい自動販売機をチェックしてしまう。ビジターセンターの自販機には「あしたば茶」という缶ジュースがラインナップされていた。思わず買ってしまう。「あしたば」というのは八丈草・明日菜とも書かれる八丈島特産の野草で、色々健康にいいらしい。蕎麦に混ぜたり茶にしたりするらしい。なんでも秦の始皇帝から不老不死の薬を探すように命じられた徐福が、ここまで来て持って帰ったという。そんな草のお茶なのだから、きっと凄い味に違いない……。
結論から言えば、美味かった(笑)。青臭く甘苦い味で、すっきりしていて飲みやすかった。ひたすら汗をかいた身にとても心地よい。某中華街で売られていた某ジュースとは雲泥の差だ。
閑話休題。植物園には、植物のほかに「キョン」と呼ばれる動物が飼われていた。どんな奴かは写真参照。これで成獣らしい。原始的な鹿の仲間で、台湾が原産だという。なぜここにいるかはよくわからない(笑)。あと、南国の鳥らしき生物もいて写真に納めておいた。これもなぜいるかはわらかない。
植物園を出てから、近所の喫茶店らしき飲食店でイカバター焼き定食を食べた。テレビで流れていた昼ドラをなんとなく観てしまう(笑)。それからまた海を目指して歩き出した。
まだ帽子を入手していなかった。陽射しは恐ろしく強くて、汗がひっきりなしに出てくる。口からずっと荒い息が漏れている。頭痛がいつ襲ってくるか心配だった。以前新潟は長岡を放浪したことがあって、だだっぴろい田んぼの真ん中で熱射病に陥って夜まで身動きできなかったことがあった。その時は宿を探すこともできなくて、海辺に寝転がって一夜を過ごした。同じ目にまた遭ってしまうのではないか……。
思えば、なぜ自分はレンタカーも自転車も使わず歩いているのだろうか。はっきりいって苦行である。無駄である。バカである。しかもそれなりに重い荷物も抱えている。ちゃんと普通免許を持っているのだから、車でも何でも使ってしまえばいい。
だけど、歩くことでしか手に入らないものがあることも知っている。こことあそこが実際に同じ陸の上にあることを証明したり、ふと思い立って狭い路地に分け入っていったりすることは、2本の足を使ってでしかできないことだった。それに、自分の足を使っている限り物に囚われることはない――駐車場を探したり、自転車泥棒に怯える必要はない。自由を感じるためには、どうしても歩く必要があった。
日射の中をもがくように歩きながら、こんな旅には人を付き合わせられないなと思った。もし誰かと一緒に来るのなら、休みを確定させて宿をちゃんと予約し、周囲の観光スポットを調べ上げてレンタカーを借りて計画的に回ったことだろう。無目的・無計画に飛び込んでいくなんて、一人でなきゃ絶対にできない。
ひょっとしたらこの旅は、私の人生そのものを象徴しているのではないか……ふとそんなことも思った。伴う人もなく、無計画で無鉄砲、意味のない苦行は延々と続き、そしてオトシマエは自分でつける……。それらすべての代償として、途方もない自由がある。
八重根港に着いたのは夕方近くだった。出発点の底土から見て、島を横断したちょうど反対側に当たる。少しだけ和らいだ陽光の下で、ダイバー達が海へと潜っていた。私は岩場を登り、海と波の写真を撮った。水平線の先には太平洋が広がるばかりの、最果ての海岸だった。
すぐ近くに釣具店があって、そこでカウボーイハット型の麦藁帽子を見つけた。ようやく帽子にありついた瞬間だった……。折り曲げられているつばをわざわざ広げ直して陽を除けられるようにする。防御力と怪しさがアップした。
傾いた日の光の中を歩いてホテルを目指す。朝に訪れた民俗資料館を横目に、来た道を引き返した。ホテルに着いた頃には日が暮れていた。昼寝をして起きると夜の7時半頃で、夕食を食べるためにまた外に出た。
「あそこ寿司」という気になる名前の寿司屋があって、ガイドブックによると美味いらしいので行ってみようと思った。だけど、店の看板が見えるや否や電気が消えた。すごすごと引き返して、ホテルの敷地内にあるバーに入った。にぎやかな団体客がたくさん入っていたけど、カウンターは空いていた。奇妙なネコの木人形が置かれている席に腰掛け、チーズロコモコを食べた。ちゃんと目の前で料理してくれて、うまかった。島に着いてから一番うまい食事だった。アイスティーとあしたば茶をガブ飲みして部屋に戻った。
部屋でぼおっとテレビを見ていると、なんと今日は月蝕が起きる日だと言う。深夜の4時55分が食の最大とのこと。残念ながら本州は曇り空。だが八丈島は晴れている! これは撮るしかない。そう思って目覚ましをかけて眠った。
で、深夜に起き出して撮った(写真参照)。右側がくっきりと欠けている。輪郭とは逆の円弧で欠けているのがミソだ。単なる月齢による場合は輪郭に沿うような形の円弧で欠けていく。最初普通に撮ったのでは月が白飛びしておまけに手ぶれして良く分からない写真になってしまったけど、マニュアルモードで露出やら感度やらシャッタースピードをいじったらどうにか見られる写真が撮れる様になった。
月は部屋の窓からだと見えなくて、フロントまで降りていって窓から身を乗り出すようにして撮った(やはり冷房はついていなくて、窓は開けっ放しだった)。そのうち外から宿泊客が帰ってきて、普通に入り口のドアを開けて中に入ってきた……。開いてたんかい! 私もドアから普通に出て、前庭の芝生から写真を撮りまくった。散発的に訪れる宿泊客に妙な顔をされながら……。深夜徘徊はお互い様じゃないか。
撮れた写真にすっかり満足して私は布団へと帰っていった。
第3日目 9/8(金) 雨のち晴
昨夜夜更かしした関係で、朝は遅かった。遅めの不味い(汗)朝食を食べてから二度寝して、午後1時頃から動き出す。こういっただらしない行動が取れるのも一人旅の強みだ(笑)。
今日はいい加減徒歩オンリーを止めてバスを使ってみようと思った。八丈島には島内を45分ほどで一回りする巡回バスがある。底土海岸に夏期だけバス停が設置されていると聞いてそちらに行ってみたけれど、それらしい標識は見当たらなかった。仕方なく通年でバス停が置かれているという神湊港へと向かった。道を引き返して海岸沿いを15分くらい歩く。
道の途中で雨が降り始めた。風に運ばれてきたような小雨が三原山の頂に引っ掛かっていて、それが雨を降らせているようだった。海面を見渡せば、陽光が落ちている一角も見受けられる。多分島の反対側では雨が降っていないのだろう。
本州にいると、雨が降っているときは本当にどこまでも雨が続いているような感覚に陥ってしまう。だけどここでは、雨ははっきりと今・ここに降っているのだと実感できる。それどころか、この雨と山向こうの雨とが別々の雨だということが、はっきり見て取れる。面白いことだと思った。雲の動きや風の方位がここではとても身近に感じられる。それらは「風」や「雲」なんていう名前で一言で言い表されるものではなくて、島の上をよぎっていくとても具体的な存在だった。同じ雲も同じ風も二度とは訪れない。彼らが生まれてから消えるまでをずっと眺めている事だって、この島でならできるのだろう。
神湊港近くの海岸に、古びた船のオブジェが置かれていた(写真参照)。何でも、島流しになった人たちが本州に逃げ帰ろうと船を出した場所がここなのだという。脱走の計画は八丈島の歴史の中で15回試みられ、成功したのはたった1回だという。船と海を眺めて、水平線の向こう側にある陸地を目指して漕ぎ出した人たちのことをぼんやりと思った。
神湊港のバス停はすぐ見つかった。時刻表を見ると次のバスが来るまでにまだ1時間ほど余裕があった。近くの商店でアイスクリームを買い、ホテルの部屋に戻って昼食を摂った。アイスクリームは冷凍庫にしまった。
バスはほぼ時間通りに着いた。運転手に行き先を告げて運賃を払う。今日は島の南側にある集落や温泉を見て歩こうと思っていた。昨日まで歩いていた道を越え、険しい断崖を貫く「大阪トンネル」を抜けて、中之郷と呼ばれる島の南端へと向かう。
中之郷や隣の樫立には温泉がいくつかあって、ほとんど銭湯になっているところから谷あいにある男女混浴の露天風呂まで取り揃えられている。町が運営している場所が入りやすそうだと思い、場所を調べておいた。海岸に程近いところで、湯船に浸かりながら海を眺められる立地だという。
温泉に入る楽しみは後に取っておくことにして、とりあえず海岸を目指した。この土地の海はどんな色をしているのか見ておきたかった。昨日までに訪れた底土や八重根は平地から海岸に向かって行ったけれど、中之郷や樫立は急な坂道を下りきってようやく海にたどり着くといった様子だった。坂道を降りている最中、後でこれをまた登るのかと思って気持ちが暗くなった。昨日買った麦藁帽子を被っていたけれど身体から出る熱までは抑えられない。またしても汗ぐっしょりになりながら海岸にたどり着く。
海岸はごく最近整備された場所らしかった。岩場をくりぬいて作ったようなプールがあって、水着姿の人たちが何人も泳いでいた。そのプールの縁を普段着のまま歩いていって、岩場の上で写真を撮った。怪訝な顔をされそうで怖かった(汗)。それから、先ほど想像したとおり上り坂を引き返して集落に戻った。
一端もとのバス停付近に戻ってから、今度は温泉を目指すことにした。別の海岸へと通じる坂道を下っていく。滝や露天風呂が道中目に留まった。男女混浴の露天風呂は水着着用でなければ入れない場所で、泳げない私は(滝汗)水着なんて持ってきているわけがなく露天風呂にも入れなかった。その代わり、もっと海岸近くにある町営の温泉に入った。
温泉と言いながら設備は銭湯とほとんど変わらない場所だった。蛇口とシャワーが壁に並んでいて、シャンプーもボディーソープもある。ただ湯船がヒノキでできていて、温泉の成分のせいか底がぬめっていた。
浴場に立てば夕方に差し掛かった太平洋が見渡せた。自然の前で素っ裸になるのは気持ちがいい。ただ、湯船に入ると海面しか見えなくなって残念だった。日に焼けた腕と首筋に湯がしみて痛い。何かしらの成分が溶け込んでいるのは確からしかった。
気持ちよく汗を流した後、畳張りの休憩室でくつろいだ。大きな座卓が中央に置かれていて、上に団扇が用意されている。マッサージ機とテレビと扇風機もある。団扇を片手に足を伸ばせば旅の疲れは消えていった。自動販売機にあしたば茶があって、一本買ってしまう。
エアコンはなかった。そういえば、八丈島の人たちはあまりエアコンを使っていないように見える。近代的な家に住んでいる人も、夜は窓を開けて網戸で過ごしている場合が多いようだった。地熱発電や風力発電が行われていたりする島なので、エコ意識が高いのかもしれない。あるいはエアコンを使うと外気との間に温度差・湿度差が生じ過ぎてよくないのかもしれない。さもなくば、自然風に勝る涼は有り得ないのだと知っているのかもしれない。昔ながらの民家に住み、あらゆる窓を開けっぱなしにして部屋に寝そべっている人の姿はとても涼しそうだった。
温泉を出てからは、徒歩でホテルを目指した。バスを使おうと思ったけれど、温泉を出る頃にはもう時刻表が尽きていた……。
歩いているうちにどんどん日が暮れて、やがて夜になってしまった。だが、夏場の夜は案外歩きやすい。風が涼しくなるし、何より厄介な陽射しがなくなる。人気が絶えて車ばかり通り過ぎていく夜道をひたすら歩く。
大阪トンネルを抜けると、目の前には田舎町のつつましい夜景が広がった。黒々とした海面に浮かぶ漁火と島の輪郭をなぞる街灯の曲線が、幻想的な風景画を描いているようだった。風景により風景を描いているというなんとも不思議な図式だ。そんな夜景を傍らに坂道を降りていく。
三根市街に入る頃にはもう8時近かった。今日こそ入ろうと思っていた「あそこ寿司」はやっぱり閉まっていた(汗)。そこで「梁山泊」という郷土料理のお店に入ってみた。
外見からは想像できないほどお客さんが入っていた。カウンター席が辛うじて空いていて、隅っこのほうに私は座った。あしたば蕎麦と里芋の唐揚を頼んだ。居酒屋兼料理屋といったところで、みんな酒を呑みながらにぎやかに話している。
地元の女性らしい2人組が店に入ってきて、私のすぐ隣に座った。初老のマスターがカウンターの向こう側から2人に話しかける。2人は店の常連らしかった。観光協会がやっている謎解きキャンペーンのチラシを持って、マスターにヒントをせがむ。
こういうチャンスを生かして地元の人たち(しかも女性)と話しておくべきなんだろうなと思った。だけど、長年の性格が災いしてなかなか話しかけられない。そのうちマスターが話を振ってくれた。
「一人で来たの?」
「ええ、一人旅です」
「探検?」
「まあそんなところですね」
物知りらしいマスターに私は名産品のことをいくつか聞いた。先ほどの女性2人は、カウンターに座っていた別の観光客(男性)と話し始めた。男性は島内のオススメのスポットについて女性たちに聞いていた。思わず盗み聞きしてしまう。海は千畳岩という場所が一番綺麗らしい。なるほど。
料理は思ったよりボリュームがあってしかもうまかった。歩き詰めだった身体でもすぐに満腹になった。感謝の気持ちを込めてソフトドリンク(利益率高)をガブ飲みして店を出た。最初にこの店に来ればよかった。
ようやく部屋にたどり着いてのんびり夜を過ごした。デジタルカメラの写真を確かめているうちに、今日撮ったどの写真にも中央に黒い点があることに気付いた。レンズを換えたりして色々確かめるうちに、感光用のミラー(?)に何かが付着しているのに気付く。昨夜月を取るときに間違って露光時間を無限大にしてしまい、シャッターがしばらく落ちたままになったことがあった。その時に多分ゴミが付いてしまったのだろう。シャッターを下ろした状態でミラーに息を吹きかけてゴミを飛ばす。恐らく良い子は真似しないでくださいという行為……。とにかく黒い影はなくなった。
今日も今日とて結局歩き詰めの1日となってしまった。明日はついにホテルからチェックアウトする日となる。次の宿を探さなければなるまい。
第4日目 9/9(土) ひたすら晴
荷物をまとめてチェックアウトを済まし、空港を目指した。もちろん徒歩だ。しかも今回は全装備をまとめて背負っている。日が高くならないうちに空港に着かねばなるまい。
全備重量は10Kgを超えるだろうか。左手にトランクを、右手にバッグを提げて朝日の中を黙々と歩く。最初に宿を探して歩いたまっすぐなソテツの道を、今度は遡って歩いていく。例によって例のごとくすぐに汗まみれになる。
空港に向かったのは、実は、今日の飛行機で帰れるんじゃないかという妄念に突き動かされたからだ。予約した飛行機は明日の朝9時発で、そのためだけに宿を探すくらいなら今日の夕方にでも帰ってしまった方がいいと思った。いい加減疲れたし(笑)。それともうひとつ、重い荷物を背負ったまま宿を探すのは辛い。それで、荷物を保管するための貸しロッカーくらいあるんじゃないかと思ったからだ。
そんなわけで、Tシャツをビショビショにしながら空港のビル内にたどり着いた。空調が思いっきり効いていて、自然冷却になれていた身体には肌寒いくらいだった。おまけに服は濡れている……。
とにもかくにもANAの受付の人に、予約した便を今日に振り返られるか聞いてみた。できることはできるけど、既にどの便も満席だからキャンセル待ちするしかないのよ。フハハハ残念だったな! という答えだった。私は仕事の都合でどうしても確実に明日帰らなければならない……。ここで予約を解除したら、今日の便にも乗れずに明日の便にも乗れないという究極のオチが付いてしまうかもしれない。
というわけでちゃんともう一泊していくことにした。荷物をロッカーに預け、土産物屋をちょっとのぞいて、空港レストランで昼食のあしたばうどん(冷)をすすってから、宿を探そうと外に出た。
が、身軽になるとどうしても散策の方向に足が向いてしまう。そういえば島の北西側にはあんまり行ったことないな……。昨夜の「梁山泊」で小耳に挟んだ、八丈島で一番海が綺麗だと評判の千畳岩海岸は空港の北西にある。そっちの方向に宿もあるかもしれない。そう思ってまだ一度も行ったことのない北西への道に足を向けた。
島の北西、大賀郷と呼ばれる一帯は物静かなところだった。離島なので静かなのは当たり前だけれど、大賀郷は空気そのものがひっそりとしている。他の場所では車が行き来していたり人通りがあったりして、生活の雰囲気というものが伝わってくる。だけど大賀郷ではヤシの雑木林や無人の畑ばかりで、人の気配が薄い。自分の足音ばかりが響くようだった。
特に見るものもない道をひたすら歩くうちにやがて海に至った。この島ではどの道を突き進んでもやがて海に至るけれど、そのとき行き当たった海は他の場所とは一味違った。
遠く広く平坦に広がる海原の向こう側に、まるで温和な怪獣のように小さな島が浮かんでいる。道を進むと、海岸の様子がはっきりと見えてくる。ただの殺風景な海辺と思っていたものが良く手入れされた芝生の公園となる。そして芝生のさらに向こう側に、冷えて固まった黒い溶岩の広がりが見下ろせるようになる。この場所が、噂に聞いた千畳岩海岸だった。
海の手前に広がる黒色の溶岩は、まるで苦しみの象徴のように見えた。海に面しているはずなのに、なぜか山を思わせる。ごつごつとした岩を踏み越え、鋭い切れ込みや溝を飛び越えながら海を目指す。カメラを持ちながらなので、時々よろめいてしまう。こんなところで転んだら大変なことになるな、と冷や汗を流した。
溶岩とは対照的に、海は本当に美しかった。断崖の下にエメラルド・グリーンの波が揺れていた。本当に実際にエメラルド・グリーン。こんな綺麗な海を見たのは初めてだった。波を浴びたせいか茶褐色に変色した岩の上で波頭が遊んでいた。
近くの土産物店であしたばアイスクリームを食べてから、海沿いに島の中央へと戻る道を歩き出した。やはり宿は島の中央に集まっているようだった。遊んでいるうちに午後も中ほどを過ぎていた。今から宿を探すのってひょっとして大変かな……とちょっと不安になった。
海岸はずっと黒い溶岩が続いていた。波はどこもここも荒々しい。太平洋というものはそういうものなのだろうか。名前にそぐわない強い波がこの小さな島を取り囲んでいることになる。
町に戻って宿を探してみたけれど、なかなか良さそうなところがない。ペンションやダイバーズクラブの宿には急に泊まるなんて無理だろう。町外れの民宿を訪ねてみたけれど、空き室はないと言われてしまった。
陽が傾くにつれて気分が沈んできた。絶海の孤島で宿無しで独り歩き回る事ほど寂しいことはない。そもそもちゃんと計画を立てて旅行に出掛けない自分が悪い。運良くホテルに転がり込めたのだから、素直に宿泊を1日伸ばせば済むことだった。無駄な冒険なんて慎むべきだ。
大して歩く場所のない小さな町をうろうろと行ったり来たりする。足取りも鈍いものになる。自分がどうしようもないろくでなしのように思えてくる。俺はよそ者、アウトサイダーなのだ。島の人たちの視線が気になる。やがて夕方が過ぎ、日が落ちていく。それでも宿は見つからなかった。
そうだ、大賀郷に大きなホテルがあったはずだ。そこに行ってみよう。既に夜といって差し支えない時間帯だった。ホテルに着いてみると、自分が泊まっていた所より近代的で少し洗練された感じのところだった。金ならある。フロントに立っていた受付の女性に声を掛けた。
「空き部屋はもうありません」
女性は眉一つ動かさないで即答した。こんなシーズンオフに空き部屋なしなんてことがあるかいなと思いつつ私はそそくさと退散した。
ホテルの敷地から出る坂道を下るうちに、もう宿になんか泊まってやるもんかという気分になった。野宿するのは今回が初めてじゃない。また波の音を聞きながら眠ろう……。
気付けば辺りはすっかり夜になっていた。だけど、飛行機の飛び立つ翌朝までにはまだ時間がある。ありすぎる。そこで私は、気に掛かっていたものを手に入れようとふたたび町に戻っていった。
最寄の本屋に立ち寄って棚を見渡すと、目当てのものはすぐ見つかった。町役場が編纂した「八丈島誌」だ。他の場所では手に入らないだろうし、せっかくだから買って行こうと思っていた。
分厚い本が加わって一段と重くなった荷物を抱え、夜の海岸を目指した。どうせ一夜を過ごすのなら海岸に横たわろうと思っていた。実は日中歩いた道の途中で東屋を見つけていて、あそこなら野宿するにも都合がいいなと思える場所があった。
海岸沿いの芝生に立てられた東屋は、周囲の街灯に照らし出されて明るかった。これでは通りがかりの人や車の目についてしまう。このご時世、不審人物として通報されたりしょっぴかれたりする可能性もある。やや内陸を走る幅広の車道はずっと明るい街灯に照らされていたけれど、海岸沿いの道はまるで黒い霧が立ち込めているように暗かった。しばらく闇にまぎれていようと思い、私は海岸沿いの道へとさまよいこんでいった。
少し離れたところでバーベキューをやっている人たちがいたけれど、炊事場の先は明かり一つない闇だった。賑わいの脇をすり抜け、闇を求めて分け入っていく。昼の間に一度通ったことのある道なので、何があるか大体は心得ていた。芝生の広場になっていて、車道からも距離があるはずだ。
暗がりの中に入るに従って人の声が途絶え、波の音が賑わいをかき消すようになった。やがて誰の声も聞こえなくなり、辺りは夜の海のざわめきと暗闇ばかりとなった。そして奇妙なことだが、人家の明かりも街灯もないこの海岸が思ったより暗くないことを知った。夜目が効いてきたし、何より月が昇っていた。欠け始めたばかりの満月に近い月が辺りを照らし出す。
バッグを傍らに置いて芝生の上に座り込み、海を眺めた。月が眩しくて雲も海面もはっきりと見える。波の音が、何かを急かすように、何かを為そうとするかのようにずっと続いている。そうして私は、一人ぼっちで闇に包まれている。
そこは安らぎを覚える空間だった。心がむきだしになって、その表面を海風が撫でてくれるようだった。水平線の向こう、雲の掛かる山の峰の上まで、自分の心が広がっていくように感じられた。
ここは最果ての海。世界が終わる場所であると同時に始まる場所でもある。雲と海原の間の夜はそのまま心の闇と直に繋がっているに相違いない。夜空を覆う積乱雲の輪郭をたどって意識がさまよう。波打ち際では、黒い溶岩と黒い海水とが交じり合って世界の秘密を垣間見せる。
私自身の長い影が地面に落ちている。月の落す影だ。こんな月光の下でなら、虹だって作り出されそうだった。広場の上に影を落すものは私独りだけだった。さみしい……そう思って月を仰いだ瞬間、信じられないことが起きた。月の登ってきた軌跡を切り裂くように、一筋の流星が降った。
荷物を手に私はまた立ち上がった。そうしてこの場所を去ろうと思った。月明かりばかりのこの場所では、あまりに自分の心と向かい合いすぎる。それは畏怖するべきことであり、危険なことにも思えた。街灯に照らされた東屋を目指して、私は歩き始めた。人間の世界で夜を過ごすべきだ。そして、夜が空けるのを待たねばならない……。
第5日目 9/10(日) 晴
夜が明け始めたのは午前4時半頃だった。東に見える三原山の上の空が段々と青みがかり、やがて桜色に染まった。荷物を背負って歩き出すと眠気は消えていった。
やや回り道をしたせいか空港に着くまで1時間近く掛かってしまった。支庁の脇を通り、植物園を抜けて空港を目指す。雲がどこもここも金色になっていて綺麗だったけれど、今更カメラを取り出す気にはなれなかった。
ターミナルビルの玄関口に着いた頃にはすっかり朝になっていた。空港が開くのは午前7時45分からで、まだ2時間くらい余裕があった。植え込みの石に座って持ってきた本(ライラの冒険シリーズ「黄金の羅針盤」)を読んだ。陽射しがもう暑くなっていた。
ビルの玄関口はきっかり7時45分に開いた。まずはロッカーから自分の荷物を引き出す。追加料金が300円ほど発生していた。メインバッグのトランクを取り戻し、あれこれ中身を整理した。そうこうしている内に辺りは乗客で混み始め、土産物屋も開店していた。
買い残したお土産を買ってから手荷物を預け、待合室へと入っていった。今回機内に持ち込むのは土産物のビニール袋だけで、後は全部預けてしまった。待合室で珈琲を売っていたので買って飲んだ。日曜日であるせいか満席で、手荷物をチェックするゲートに長い列が出来ているのが見えた。
9時近くになって飛行機への乗り込みが始まった。今度の席は尾翼付近の通路側で、人に取り囲まれて窓もろくに見えない。バスに乗っているような気分だ。
本州にはあっけなく着いた。外に出て、蒸し暑さに驚いた。ヒートアイランドのせいか、八丈島と同じくらい暑い。昨日からずっと被っている麦藁帽子を頭に引っ掛けたまま私は家路を辿る。
***旅のまとめ***
宿をしっかり確保しなかったのが今回の一番大きな反省点だろう。もういい年だし、社会人の大人だし、野宿なんてしない方がいい。他人に迷惑を掛けることにもなる。ひとけのない夜闇でデジタルカメラや携帯を操作するたびに怪談や心霊現象を作り出してしまったことだろう……。
ただ、周囲についてあまり下調べしないで飛び込んで行ったのはかえって面白かった。一人旅だと宿でゆっくりできる時間もあるので、その間に調べ物のまとめをしたりメモを取る事もできる。また、居酒屋やバーのマスターが情報源として有効なことがわかった。そういうところから情報を入手できるヒューマンスキルが欲しい。
計算外だったのが、島内全域でボーダフォンが使えなかったことだ(汗)。これでもまっとうなプロジェクト進行中プログラマーなので、何かあったときは電話で連絡が来るはずだった。だけどどこに行っても圏外なので、会社で何が起ころうとも島流しの身の上にあっては関知できない。初日だけ念のため会社に電話を掛けたけど、それ以降は一度も連絡を入れられなかった。否応無く根無し草にされてしまったのはかなり楽しかった(笑)。
【旅行時期】2006/09/06~2006/09/10
【エリア】
八丈島
【テーマ】
【投稿者】
からす
ボディーソープに関する質問
石鹸とボディーソープの違い
最近、体を洗うのに石鹸を使うようになりました。石鹸の使用後にかけ湯をすると泡と一緒に垢も流れていきますが、ボディーソープを使用した場合には垢が見当たりません。石鹸がアルカリ性でボディーソープが中性〜弱酸性だからでしょうか
香りのきつくないアメリカのボディーソープは?
日本から持ってきたボディーソープがなくなるので、こちらのを買おうと思っています。こちらのボディーソープは(日本人にとっては)香りがきついと聞いたことがあります。香りのきつくないオススメのボディーソープをご存じでしたら教えて
ボディーソープで頭・顔・体
一本のボディーソープで髪の毛ゃ顔ゃ体を洗ってます。もちろん以前は髪の毛はシャンプーにリンス。顔はクレンジングフォーム。体はボディーソープ。で洗ってました。ここ数年はボディーソープですべて洗ってます。私みたいな人は居ますか?40歳半ばですが
ボディーソープの代わりにシャンプーまたはその逆
ボディーソープとシャンプーって成分は全然違うのでしょうか?たとえば、ボディーソープの代わりにシャンプーを使ったり、その逆の事などやると、何か不都合など起きるのでしょうか?回答お願いします。
ボディーソープを水で薄めて使う?
節約のためか、お嫁さんがボディーソープがボトル半分くらいになった 時点で、水を入れて薄めているようです。水で薄めると、効果も半減するのではと思うのですが、どうなのでしょう?冬場は気になりませんでしたが、この季節、
ボディーソープ関連エントリー
ダヴ ボディーソープ当選
現品当選で嬉しいです。 我が家の夫は石鹸派なので、わざわざボディーソープは買わないのですが 前回、当選した牛乳石鹸さんのボディーソープがちょうど無くなったところだったので 嬉しい当選でした。泡立ちも良いので、ダヴのシリーズはお気に入りです。

ボディーソープ
ボディーソープとかって、皆様何使ってらっしゃる? 今、詰め替えとか当たり前ですけど、ボトルなんか捨てたりするの面倒だし、 私、タワシとかタオルとか使わないで洗っているので ...

ボディーソープ
ロスのお土産でもらったボディーソープ。外国のボディーソープはいい香りのものが多くて、愛用してます 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

MARKS&WEB ハーバルボディーソープユズ/ビワ葉
毎度お気に入りのMARKS&WEBです。 やっとストックのボディーソープのグレープフルーツが終わったので、 ユズ星人 ヒメちゃん おすすめのユズ/ビワ葉をおろしました。 香り立ちはグレープフルーツのものよりかなり控えめですが、 ベースは同じなのかも。 ...

ボディーソープ
うちの、お風呂では。 基本的に、石けんを、使います。 もともとは、ボディーソープ派、だったけど。 石けんのほうが、いい匂いが、持続する、気がして。 ... 《アップルマンゴーの香り》 の、ボディーソープが、あって。 興味本位で、買ってきちゃって。 ...
